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冒頭言として日本の有名な思想、宗教家の御論文をまず引用させていただきます。

今日、迷信ということを避難し軽蔑するが、これは考えものである。それが持にインテリ人に多いのも困った事実である。しからば迷信は如何なる原因によって発生するかを明らかにする必要があろう。先ず現在の人間生活を見るとき、この世の中はあまりにも理屈に合わないことだらけだ。こうしよう。ああしよう、きっとこうなる、ああなると思っても、予期に反した結果の方がずっと多いことは誰も経験するところであろう。とすればきっとこうなると予期する。──その考え方が間違っているのではないか。理屈通りにならないということは、結局理屈自体が間違っているからである。従ってその点に気が付かなければならない。もちろん人間の不幸は一切が理屈通りに行かないからで、理屈通りに行けば幸福者たり得ることは当然な話である。

右のごとくであるとすれば、今までの考え方や理屈を生むところの頭の切り替えが肝心で、そこから出発しなくてはならない。事実世の中をみるとき、そのほとんどが失敗者といってもよかろう。とすれば一般人が考える理屈は反対であることになる。従って右の反対のその反対である理屈こそ本当の理屈になるわけである。私が常にいう逆理とはこのことで、それは理屈よりも事実の方を主にするのである。例えていえば、本教浄霊は理屈に合わないが不思議に治る。医学は理屈に合うがサッパリ治らないという事も、もちろん右の理である。

またこういうことがある。世人は学校を出てから   実社会に入るや学校で習った理屈と現実とあまりにも違うことを発見するであろう。これは全く理屈の方が主で事実を従とする教育が災いするからである。特に日本はそれが甚だしい。この ごろようやくアメリカ教育の影響を受けてよほど実際的にはなったが、いまだまだ本当の自覚は前途遼遠の感がある。卑近な例ではあるが、学校で理科を勉強し卒業しても電気の故障一つ治せないことや、女学校を卒業しても ぬか味噌の漬け方すら知らないというのは、理屈の学問だけ覚えて、実際の学問を教えられないからである。

以上のごとく、理屈にとらわれて現実を無視する態度こそは、理屈の迷信にかかっているといっても否とは言えまい。

『 岡田茂吉師著 「理屈の迷信」 昭和24年10月8日 岡田茂吉全集 第7巻収録 』

迷信は何から生れるかというと、実は科学からだといったら世人は吃驚(びっくり)するだろう。それはこういう訳である。

現代人は何でも科学で解決が出来るように思っている。しかも高等学府を出たものほど、最もそう信じている。ところが実社会にブツかってみると、学校で習ったこととあまりにも食い違うことで、事実学理ではどうにもならないと覚り、科学以外にそれ以上の何かを求めようとする。そればかりではない、思わぬ災が来ることもあり、これなら大丈夫と思ってやったことが反対の結果を招くことさえある。実に世の中は割り切れないことだらけだというわけで、一種の失望と前途不安に襲われない者はほとんどあるまい。こんなわけでインテリ人が、人に知れないよう極内密で、何々判断や人相、手相、神憑り行者の御託宣等を受けに行くものが、案外多いということである。

以上述べたことによってみても、最初述べたように、科学で解決されないことが余りに多い結果、迷信に走るという結果になるのであるから、全く迷信は科学がつくるといっても、否とはいえないであろう。

『 岡田茂吉師著 「迷信と科学」 昭和24年9月24日 岡田茂吉全集 第7巻収録 』

(注)WEB掲載用として、原文の表記を現代文風に変更している個所があります。岡田茂吉師は、宗教家、思想家、芸術家として大変有名ですが、2006年1月1日以降は、御昇天後50年が経過してることにより、日本国内での著作権保護期間は終了しているものと判断いたし、誠に恐縮の極みではありますが、御論文を掲載させていただいております。

「移動体通信の基礎理論における一つの考察」 

野口謙一

ダウンロード用 レジュメPDFファイル 09_1A_03.pdf

このマックスウェル不信任案とでも言うべき理論を平成18年(2006年)9月、電気関係学会九州支部連合会(開催地:宮崎大学)で情報処理学会正会員として講演いたしました。

話は戦前までさかのぼりますが、英国ケンブリッジのキャベンディッシュ研究所の初代研究所長であったJ.C.マックスウェルによる電磁気理論 (1861年ごろに理論が構築されたといわれていますが、日本で最初の国立大学である東京大学において、学位授与権が与えられのは1879年ごろとのこと)がもともと物理法則として疑わしいことにより、モノポールが見つからないのではないかといような内容も含めて講演をしてきました。

[注]磁界の向きについては、今後実電子流を基準として、国際的な議論が必要になると考えられます。(注1参照のこと)

[注]上記背景図はあくまでもマックスウェルの電磁気理論による電磁波というものをイメージ化しただけのものです。

[注]実験では、電波の送受信用として、携帯受信機と携帯電話を使用します。

[注]上記実験では、隙間がないようにアルミ箔で送受信機全体を覆うと、全く機能しないことが分かります。

[注]上記実験で、受信リングの間に紙片をはさむと、火花のため黒こげになったり、引火したりします。

[注]上記実験で、隙間がないようにアルミ箔で受信リング全体を覆うと、受信リングに挟んだ紙片には全く変化はありません。

 

上記のパワー・ポイントによるアニメーション発表資料とは別に、レジュメには書いていないことですが、少々補則させていただきます。

私自身は普通の理工系の大学よりも、このマックスウェルの電磁気学については、かなり多くの時間を使って講義や演習を受講したことがありますが、実社会に出てさまざまな社会経験、実務経験を重ねるうちに、やはり これはおかしいのではないかと疑問を抱くようになったという経緯があります。

要するに空間を伝わる波は電場と磁場の相互作用によるものと長い間考えられていたのですが、どうも電場の時間的な変位によって磁場が作り出されるはずのその磁場がもともとないということだと考えております。(追記補足:もちろん導体中の自由電子の移動に伴う磁界が発生することはいうまでもありませんが、二次以上の電場の変化に伴う磁界/磁場はないという意味です)

現在、私自身の仮説によれば、電波は光と同じような量子的な(波長が短いと高いエネルギーを持つ)性質を持つ放射現象の一種ではないかと見ております。

この学会発表の後、米合衆国のブルックヘブン国立研究所の加速器でも、やはりモノポールは見つかっていないということです。また、2010年4月にスイスとフランスの国境にあるLHCという世界最大の加速器で、過去最大ともいえる7兆電子ボルトによる陽子の衝突実験に成功したとのことですが、その後もいまだにモノポール観測については公式なアナウンスはされておりません。

かつて80年代初頭、スタンフォード大にてモノポールの検出調査中に一瞬発見されたように見えたのもつかの間、その後実験者も含めて世界中誰も検出には成功していないという笑えない誤報例もありますので、この件以来、世界中の科学者はかなり慎重にモノポールの検出について調査を行っていると考えられます。

また、マックスウェルという人は、実験というものはほとんどしなかった人物だといわれており、当時、それまでの電磁気的な現象を統一して記述できないかと模索していたと思われます。しかし、あの難解なマックスウェルの電磁気理論もほとんど実験による検証はせずに、当時学会で流行だったベクトル 数式を使って頭の中で数式をいじくっただけのようで、当時もその内容を理解できた人は、世界でも数えるほどしかいなかったといわれております。

その後、ドイツの学会がマックスウェルの電磁気理論を裏付けする実験はないかという公募をしたところ、当時ドイツ人のヘルツという人物が受信リングで発生する火花がどうもそれらしいというような発表をして、ドイツの学者達はそれをそのままマックスウェルの理論を裏付ける実験であると認定してしまい、ここでも徹底的な検証はされていなかったようです。おそらくヘルツ博士は死ぬまで自分が発見した現象がマックスウェルの理論とは異なるものだと気付くことはなかったのではないでしょうか。

私が2006年の9月に講演したときには、レジュメには書いてはありませんが、マックスウェルの理論が机上の空論だったのではないかと裏付ける内容として、この受信リングを用いた実験結果についても口頭発表をしております。

また、アインシュタイン博士が当時物理学で信じられていたエーテルという実体のない幽霊のようなものを特殊相対性理論によって打破し、一躍時の人として学会に出たときにも、マックスウェルの電磁気理論についてはローレンツ変換に不変だからというだけで、そのまま受け入れてしまい、ここでも徹底的な実験による検証は見逃されてしまった結果、世界は第二次大戦へと突き進んでしまったという流れがありました。

つまり物理学における二重、三重の検証もれが今日まで気付かれずに、ずっと見過ごされていたのではないかといえます。

最後になぜこのように古典的な理論を現代で批判する必要があるのかということですが、21世紀を生きる現代人、特に若い人は常に今ある理論よりも、さらに見通しの良い理論を 構築するために、考え続けて研究を行っているにもかかわらず、新しい理論の正当性を検証する場合には 、必ず今までの古典理論を含むかどうかについて検討を行います。このときマックスウェルの古典的電磁気理論は新しく矛盾のない理論を生み出すことにおいて、現代研究、教育の大きな障害となっていることが挙げられるのではないでしょうか。 また、アインシュタイン博士は自身の重力理論と電磁気学との統合を1955年に死去する直前まで試みられておられましたが、その夢を果たせないままこの世を去ってしまわれたことは有名な話です。

私は2003年にJABEE(日本技術者教育認定制度)の九州地区における講習会に、社会人として出席した経験がありますが、理工系大学や高専の学部教育で、まだこのとき国立大学でさえマックスウェルの電磁気学が、単位認定の条件として居座っている現実をあらためて知り、心を痛めていたことを付記しておきます。 (JABEE講習会の内容は守秘義務がありますので、詳細な内容についてのコメントは差し控えさせていただきます)

さらに2004年3月以前には、国立大学や高専の教職員は国家公務員であったこともあり、分かってはいてもなかなか公式の場で話をすることが難しい状況でありました。しかし、2004年4月以降からは、これらの教職員が非公務員扱いとなったこともあり、やっと日本国内でも公式の場で、このような議論ができるようになってきたのではないかと考えております。

追 記

電子流とコイルによる磁極の関係について

電子流と磁場による導体の受ける力の向きについて

電子流による磁界/磁場の方向性について

NEW 電波の発生について

[注1]

地球上の磁場の向きについては、さまざまな文献に諸説ありますが、日本は特に地球の北半球に位置しているせいか、方位磁針のN極が指す向きを磁場の方向としている文献が多いように見受けられます。

一方、南半球の国々、例えばオーストラリアや南米、南アフリカ諸国などでは、もしかすると方位磁針が南極を指すS極の向きを磁場の方向と定めているかもしれません。

また、重力場と同じ考え方をすると、地上では直下に引きつけられるような重力を感じることができます。すなわち、磁場も引きつけられる力の大きい方を磁場の向きと定めることもで きます。

このように相対的に大きい方を磁場の向きとすると、北半球では方位磁針のN極の指す向きを磁場の向きとし、南半球では方位磁針のS極が指す向きを磁場の向きと定めることができます。文献によっては、このような磁場の向きで記述されているものも見受けられます。

結局は、どのように磁場の向きを決めるかという定義によるものだと思いますので、国際的に共通の見解が得られるように、よく話し合った上で、最もうまく自然現象を説明できるよう、取り決めを行なうことが重要ではないかと考えています。

コラム

私がJ.C.マックスウェルの電磁気理論に初めて触れたのは、1980年代前半の頃だったと思います。当時は学校の必修科目で、この授業の単位を取らないと進級できないものだったと記憶しています。当時の若い時分には、教科書(日本の私学では最も古く、おまけに医学部も持っている学校で使われていた)に書かれている内容をそのまま信じこむしかない状況にあったものと考えられます。

今を去ること140年以上前の1864年に、J.C.マックスウェルさん(当時33歳ぐらい)は、この有名な理論を発表したという記録が残っています。ただし、ヘルツさんの受信リングによる火花放電の実験(1888年)を待たずして、48-49歳ぐらいで亡くなられた(死因:胃がん)との記録がありますので、彼の理論を彼自身が実験的に考察したことはなかったであろうことは十分推察されます。私も本年(2013年)、50歳を超えましたので、マックスウェルさんが生きて電磁気理論を考えた時期よりも、長く生きているということになります。

話は変わりますが、最近は時折ビートルズの曲を聴くことがあります。ビートルズの1969年に発表されたアヴィ・ロードというアルバムに「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」という曲があります。故ジョン・レノンさんとポール・マッカートニーさんによる作品ですが、この曲に出てくる医学生のマックスウェルが女友達のジョアンを銀のハンマーで撲殺し、その後、自分の学校の女教師や裁判長までも頭をハンマーで殴って殺してしまうという凄まじい歌詞です。この曲を聞くと、実は英国の一般大衆はすでに1960年代には、このサイトで述べられているようなマックスウェル理論の矛盾について、知っていたのではないかと感じさせてくれる曲です。実際、マックスウェル理論を考えるたびに、自分の頭がまるで頭を殴られたようにズキズキと痛むのは、私だけでしょうか。

動画 Maxwell's Silver Hammer 

ジョゼフ・ジョン・トムソン (Sir Joseph John Thomson 1856-1940)
     イギリスの物理学者 陰極線の実験により電子を発見した功績により、1906年のノーベル物理学賞を受賞
     キャベンディッシュ研究所所長を歴任

アルベルト・アインシュタイン (Albert Einstein 1879-1955)
     ドイツ出身の物理学者、後に米合衆国へ亡命 (特殊、一般)相対性理論が有名
     光量子仮説による光電効果の理論により、1921年のノーベル物理学賞を受賞

湯川秀樹 (ゆかわ ひでき 1907-1981)
     日本の物理学者 原子核内における中間子の存在を理論的に予言したことで、1949年のノーベル物理学賞を受賞

ジェームズ・クラーク・マックスウェル (James Clerk Maxwell 1831-1879)
     イギリスの理論物理学者 ストークス、ケルヴィン卿と並び、自然科学の三人組と称されることもある
     マックスウェルの電磁気理論が有名 キャベンディッシュ研究所初代所長

ザ・ビートルズ (The Beatles 1962-1970)
      イギリスを代表する世界的なロックグループ。メンバーはポール・マッカートニー、リンゴ・スター、故ジョン・レノン、
      故ジョージ・ハリソンの4人組。リヴァプール出身。